大井町の歴史

大井町の歴史 -20「伊藤博文の恩賜館とはどの様なものだったのか-③」

表題の通り、大井町創成期の立役者であった伊藤博文が創った「恩賜館」を追いかけています。前の投稿で述べた通り、「恩賜館」のオリジナルは1881年(明治14年)10月に竣工した「赤坂仮皇居御会食所」です。この時期は明治初期の廃仏毀釈を経て、いよいよ日本という国家を建設するエネルギーが爆発する瞬間です。そこに国家神道という江戸時代と比べると新しいムーブメントが加算されていますので、神話時代からの日本というものを体現しようと設計者は考え、今までの知見を大集結させたと思われます。

そして設計者は木子 清敬(きご きよよし)氏です。木子家は代々、宮中の修理職棟梁の家柄で日光田母沢、熱海・沼津・葉山・箱視官ノ下・静岡・鎌倉の各御用邸を担当、青山御所、明治宮殿の設計に携わっています。木子家の仕事内容は現在都立中央図書館に木子文庫として保管されていますので興味ある方はご覧ください。

その当時の設計図(細部はともかくグランドデザインは実現したと思われます)と、現在の明治記念館を比べてみました。

素人が導き出した建物のアウトラインなので稚拙な部分はご容赦。ですが左のピンクのライン(設計図)をそのまま移行させただけなので、明治記念館は本当に忠実に再現していると思います。やはりしっかりした図面があってこそ成り立つのでしょうね。先人たちの想いが伝わってきます。ではこの建物の構造(造り)はどのようなものであったのか、調べていくうちに色々とハマってしまい、面白いことがわかってきましたのでそれはまた次回。またしばし寄り道にお付き合いください。