大井町創成期の立役者であった伊藤博文が創った「恩賜館」を追いかけています。
元々は赤坂仮皇居御会食所=明治天皇の外交場所でありましので、当時の「日本」を体現した建物であったであろうことは前回述べました。
それではその建物の特徴は「入母屋造り(いりもやづくり)」「唐破風(からはふ)」に因数分解できると思います。本当にざっくり言うと「入母屋造り」→建物(主に屋根)の様式、「唐破風」→玄関の様式とも言えるのでちょっとこれらを読み解いてみたいと思います。
・「入母屋造り」とは
入母屋造りは上部が「切妻造り(きりつまづくり)」下部は「寄棟造り(よせむねづくり)」の2つの構造で構成されています。
○切妻造りとは本を伏せた形状の屋根で、現代の建物でもよくみられます。
1,シンプルな構造で雨漏りが少ない
2,施工費用が抑えられる
3,定期的なメンテナンスは必要
が特徴。
○寄棟造りとは前後左右四方向へ勾配をもつ
1,4面から構成されているため耐風性も高い
2,切り妻屋根より接合する部分が多いためメンテナンス費用は高め
3,接合部分から雨漏りを起こす可能性あり
が特徴です。
入母屋造りは切妻造りと寄棟造りの欠点を補う関係にあり、日本ではもっとも格式が高い形式として重んじられてきたのは、まずは建物の機能性が高いというのが理由の一つであったと思います。特徴を以下まとめてみました。
1,屋根の断熱性が上がる
2,4面から構成されているため耐風性も高い
3,構造が複雑であるため修理費用が高くなる
4,屋根自体の重量が上がるので耐震性が下がる
といったように、日本の風土に最適な建物構造が入母屋造であるのですがその歴史は弥生時代まで遡れるのです。以下は入母屋造の代表的な建物です。
明治時代に登呂遺跡は発見されていなかったのですが、少なくとも1500年前まで遡れる建築様式であったことは確かです。赤坂仮皇居御会食所を訪れた人々に、建物の様式を説明する時の「ネタ」としては大いに役立ったし、大いなる歴史を持つ民族であることは理解してもらったのではと思います。当時としては最適な建物であったということですね。
「唐破風」については次回。