大井町の歴史

大井町の歴史-1 「武蔵野台地と大井町」

かんべ土地です!弊社創業の地、大井町の歴史を中心に綴って行きたいと思います。

まずは第1回。

かつて奥多摩の山々を削りながら流れ下ってきた多摩川は、青梅を扇頂とした大きな扇状地を形成し、関東平野の南半分を形成しました。荒川と多摩川に挟まれたその扇状地は武蔵野台地となりいまや東京都の大部分を占めています。

その上に関東ローム層が概ね5~15mの厚みをもって堆積しています。関東ローム層とは、主に富士山の火山灰が西風に運ばれて堆積しその後風化が加わったもので、安山岩ないし玄武岩質の砂泥土です。

その生成は噴火の時期によって異なり、最も下の層で十数万年より以前、最も上の層で約1万年前と考えられています。

また武蔵野台地では2種類の発達した河岸段丘が見られます。ひとつは南側を流れる多摩川によって形成されたもので、低位面を立川面、高位面を武蔵野面と呼びます。もうひとつは北部に見られるもので、かつての多摩川の流路の名残りと考えられています。

武蔵野台地は皇居周辺を境として収束し、それより東は荒川が作り出した低地が広がっています。
そして大井町はおおよそ8万年前に形成された武蔵野台地の中の目黒台の東に広がっているのです。

下記は掲載写真の基となった国土地理院のデジタル標高地形図です。

よく眺めてみると、山手線が入り組んだ武蔵野台地の低地部分を縫う様に設計されていることや、江戸の街の輪郭などが想起されて面白いですね。
いずれにしても大井町は水はけの良い安定した台地に位置しているということでございます。