大井町の歴史

大井町の歴史 -28「過去を眺める坂-4<木の芽坂(このめさか)>」

はじめに

武蔵野台地が途切れるあたりに、大井町は存在します。その東側はかつての海が広がっており、人々は交通にあたっては高台と低地を結ぶ「坂」を往来していました。
名前がつけられた坂もあり、無名の坂もあり、いずれにせよ「坂」は現在と過去をつなぐメッセージのような気がします。そこでしばらく「坂」にまつわる物語を紡いでみたいと思います。

木の芽坂(このめさか)

由来

<立会小学校の南側に位置し、かつての間部下総守下屋敷横通りで、反対側は崖になっており、その奥に泉があったそうです。若葉のころが美しかったのでこの名が付けられたと思われます。また坂の近くにある大井公園は、幕藩時代には仙台藩の下屋敷となっており、校地には山内容堂の墓所があります。>と、品川区のHPに記載してあります。

現場から所感

木の芽が映える=初夏の季節には道の両側に生い茂る樹木が、艶やかな緑の回廊を作っていたのでしょう。現在、樹木の数は減ってしまっていて当時ほどの迫力はないかもしれませんが5月6月に訪れてみたいものです。

木の芽坂(このめさか)の現在